「運命の人」
なんていうと、大袈裟で夢見る少女のようだけれど、結婚して離婚を経験してもなお、自分の運命の人はきっとどこかには必ずいて、まだ出会えていないだけなんじゃないかと、心の片隅で思っていた。
そんな私は、出会って、好きになって、付き合って、
「運命の人は、この人かなー?」
とそわそわして、結局うまくいかなくなって別れてしまう、という「運命の人捜索活動」を随分と長いこと続けてきた。
この「運命の人捜索活動」には、運命の人に出会うための準備、も含まれている。
このため、たまにネットで「運命の人」なんて検索して、運命の人について学んだりもしていた。
いろいろな恋愛関連のサイトで、運命の人に出会う前に起こることについてのあれこれを見ていると、だいたいどこも同じような内容が書かれている。
代表的なものを紹介しておくと、
- 自分の置かれている環境が変化する
- 自分自身も変化する
- 本当の運命の人に出会う前に、ニセモノの運命の人との出会いを経験する
だいたいこんな感じだ。
環境や自分の変化は、なんとなく分かるような気がするが、結構な頻度で「偽の運命の人に出会う」というフレーズが登場するのが実に興味深い。
偽の運命の人のあとに、運命の人に出会うことになるので、当然ニセモノとは悲恋に終わることになる。
しかし、そんなニセモノとの別れを経験すると、いよいよ運命の人との出会いが近いらしい。
ニセモノと出会うことで、過去の自分の恋愛を振り返ったり、自分の中の恋愛価値観に変化でも起こるのだろうか。
そんな風に劇的な変化が起こるほどのニセモノさんは、相当な曲者のような気がしてしまうのは私だけではないはずだ。
そして、運命の人に出会えた人の中で、直前にニセモノとの悲恋を経験した人は、実際のところどれくらいいるのだろう。
なんて書いておきながら、今思えば私も偽の運命の人に出会っていたような気がする。
詳しい話は後日改めて書いてみるつもりだが、当然その恋は悲恋に終わり、多少なりともそのことで自分の恋愛観にも影響があったのではないかと思う。
それにしても、運命の人に出会う前に、ひとまずニセモノに出会うところからはじめないといけないとは。
運命の人に出会うための道のりは、長く、そして険しいものと言えそうだ。