8年前の3月11日、震災が起きた。
それをきっかけに大切なものに気付いて、結婚を決めたカップルは少なくない。
逆に、お互いの価値観の違いに気付いて離婚を決めたカップルもまた、少なくなかった。
普段は知る機会のないような、心の奥底に眠っていた価値観。
そんな価値観は、それぞれの人生観の根っこみたいな、揺るぎのないもののような気がする。
そこが大きくずれてしまったら、その溝を埋めるのはなかなか難しいのではないだろうか。
8年前、私には半同棲中の彼がいた。
携帯も繋がりづらかったあの日、彼と私は帰宅途中で偶然にも一緒になり、そこから近かった私の家まで二人で歩いて帰った。
帰宅後に彼は、徒歩30分くらい離れたところにある自分の家の確認と、近所の行きつけの居酒屋へ顔を出す、と言って出掛けて行った。
「心細いから今日は一緒にいて欲しい」「出掛けるのはいいけれど、出来るだけ早く帰ってきてほしい」という私を、地震の影響で倒れた本棚から辺り一面に散らばった本や、水槽から溢れた水で荒れた部屋に一人残して。
彼は結局そのままその行きつけの居酒屋で知り合いと一緒に飲み明かし、朝方にかなり酔っぱらった状態で私の家に戻ってきた。
私は繋がらない携帯を握りしめ、余震の中ですごく心細くて電気も消せずに全く眠れない夜を過ごした。
だからこそ、朝方気分よく酔っぱらっている彼の姿を見て、がっかりしたのを覚えている。
そのときのことは彼と別れた直接の原因ではなかったけれど、今思えばその辺りから少しずつ、価値観の違いを感じるようになっていったのかもしれない。
普段は見えなかった心の奥底の価値観の違いが、顔を出した一日だったような気がする。
きっと、あの真っ暗だったひとりぼっちの夜に、心は擦れ違い始めたんだろう。
普段は表に出てこないような価値観だからこそ、機会があれば、きちんと話しておくといいのかもしれない。
自分にとって大切なもの。
譲れない何か。
有事のときに、自分が何を守ろうとするのかを。
お互いのそんな価値観にズレがなければ、きっとその他の価値観なんて譲り合っていくらでもうまくやっていけるのではないか、という気もする。
どんなに事前に話しておいても、いざ何かが起きた時にはその通りにはいかない可能性だってある。
現実はそんなに簡単なものではないけれど、それでもきっと事前にそういう話を全くしていなかったよりも少しはましなのではないかと思う。